マルチスレッディングとは|大企業営業で複数の関係者を動かす方法
目次
はじめに
マルチスレッディングとは、大企業との商談で、窓口の担当者1人だけに頼らず、利用部門・決裁者・情報システム部門など複数の関係者と並行して関係を築く営業の進め方です。1本の糸(スレッド)だけでつながっている状態を、複数の糸でつながる状態に変えることから、こう呼ばれます。
大企業との商談では、担当者との関係が良好で、提案にも前向きな反応があったのに、ある日突然話が止まることがあります。担当者が異動した、別部門の責任者が反対した、情報システム部門の審査で止まった、予算の優先順位が下がった。こうした停滞の多くは、商談が担当者1人とのつながりだけで進んでいたことに原因があります。
本記事では、IT・SaaS企業などでエンタープライズ営業を担当する営業責任者・アカウント担当者に向けて、マルチスレッディングの考え方と実践方法を解説します。関係者を役割で整理する方法、役割ごとに伝える情報の変え方、担当者の信頼を損なわずに接点を広げる方法、商談が止まりかけているサインまで扱います。
重点顧客ごとの計画全体(目標、課題仮説、承認条件、次の行動)は「アカウントプランとは?作り方7手順と記入例」で扱っています。本記事は、その中の「関係者とのつながり方」に絞って詳しく説明します。
担当者1人に頼る「シングルスレッド」の危うさ
窓口の担当者1人とだけやり取りしている状態を、シングルスレッドと呼びます。シングルスレッドの商談には、次のような危うさがあります。
1つ目は、担当者がいなくなると商談が止まることです。大企業では人事異動が定期的にあります。担当者が異動すると、後任者は経緯を知らず、商談が振り出しに戻ることがあります。
2つ目は、担当者が社内で説明しきれないことです。担当者が提案を気に入っていても、上司や他部門に同じ熱量で説明できるとは限りません。営業が直接説明していない相手は、担当者からの又聞きで判断することになります。
3つ目は、反対意見が見えないことです。担当者以外の関係者が懸念を持っていても、営業には伝わってきません。懸念が見えないまま進むと、最終段階で突然反対が表に出ます。
4つ目は、決裁の条件が分からないことです。決裁者が何を判断材料にするのか、どんな稟議資料が必要なのかを、担当者自身が把握していないこともあります。
大企業の購買では、利用する部門、予算を持つ部門、技術的な評価をする部門、契約を確認する部門など、多くの人が関わります。窓口の担当者は、その中の1人にすぎません。
関係者を役割で整理する
マルチスレッディングの第一歩は、商談に関わる人を役割で整理することです。役職だけでは、その人が商談にどう関わるかは分かりません。
利用者
どんな人か:導入後に日常的に使う現場の担当者 / 主な関心事:仕事が楽になるか、使い方を覚える負担はどのくらいか
推進者
どんな人か:社内で導入を前に進めようとしている人 / 主な関心事:社内で説明しやすいか、自分の評価にどうつながるか
決裁者
どんな人か:予算を承認し、最終判断をする人 / 主な関心事:事業成果にどうつながるか、投資に見合うか、リスクは何か
技術評価者
どんな人か:情報システム部門など、技術面を確認する人 / 主な関心事:既存システムとの連携、セキュリティ、運用の負担
法務・購買
どんな人か:契約条件や価格を確認する人 / 主な関心事:契約の内容、責任の範囲、価格の妥当性
慎重派
どんな人か:導入に懸念を持っている人 / 主な関心事:今のやり方が変わることで何を失うか、何が増えるか
1人が複数の役割を兼ねることもあります。中小規模の部門では、推進者と決裁者が同じ人ということもあります。大切なのは、それぞれの役割に当たる人が「誰か」「分かっているか」「接点があるか」を整理することです。
関係者マップの作り方
役割を整理したら、関係者マップを作ります。表計算ソフトや共有文書の一枚で十分です。1行に1人を書き、次の項目を埋めます。
氏名・部署・役職
経営企画部 部長
役割
決裁者
今回のテーマへの立場
前向き/中立/慎重/不明
影響力
大/中/小
接点の有無
直接面談あり/担当者経由のみ/接点なし
確認できている関心事
「来期の重点施策との関係を知りたい」と担当者経由で聞いている
次に確認したいこと
決裁の判断基準、稟議の時期
マップを作ると、「影響力が大きいのに接点がない人」や「立場が不明な人」が一目で分かります。これが、次に接点を作るべき相手です。
マップには、事実と推測を分けて書くことが大切です。「部長はコスト削減を重視している」と書く場合、それが本人の発言なのか、担当者から聞いた話なのか、営業側の推測なのかを書き分けます。推測を事実として扱うと、的外れな提案をしてしまいます。
関係者ごとに伝える情報を変える
関係者によって関心事が違うため、同じ資料を全員に見せても判断材料はそろいません。役割ごとに伝える情報を変えます。
利用者
伝える情報:日々の作業がどう変わるか、覚えることはどのくらいか / 資料の例:操作画面のデモ、導入前後の作業手順の比較
推進者
伝える情報:社内で説明するための材料、導入の進め方 / 資料の例:社内説明用の要約資料、導入スケジュール案
決裁者
伝える情報:事業成果への影響、投資の妥当性、リスクと対策 / 資料の例:1枚の要約、効果の試算、他社での導入の流れ
技術評価者
伝える情報:システム構成、セキュリティ、運用体制 / 資料の例:構成図、セキュリティに関する資料、運用の分担表
法務・購買
伝える情報:契約条件、価格の根拠、責任の範囲 / 資料の例:契約書の案、価格の内訳
慎重派
伝える情報:懸念への具体的な答え、元に戻せる進め方 / 資料の例:小さく試す計画、懸念ごとの対策表
特に決裁者向けの資料は、短くまとめることが大切です。決裁者は多くの案件を判断するため、長い提案書を最後まで読む時間がないことが多くあります。決裁者が知りたいことを1枚にまとめ、詳細は別資料にします。稟議を通すための資料の作り方は「大企業の稟議を通す提案書の作り方」で詳しく解説しています。
担当者の信頼を損なわずに接点を増やす方法
マルチスレッディングで最も注意すべき点は、窓口の担当者を飛び越えないことです。担当者に断りなく上司や他部門に連絡すると、担当者は「自分を信用していない」と感じ、協力を得られなくなります。担当者は、社内の事情を最もよく知る味方です。
接点を広げるときは、担当者と相談しながら進めます。次のような伝え方が有効です。
- ▸「部長に説明される際に、私からも補足できることがあれば同席させていただけますか」
- ▸「情報システム部門の確認で止まらないよう、事前に技術的な質問に答える場を設けられないでしょうか」
- ▸「現場の方が実際にどう使うかを確かめたいので、担当の方に15分ほどお話を伺えますか」
ポイントは、接点を増やすことが担当者の得になると伝えることです。担当者にとっても、上司や他部門への説明を営業が手伝ってくれるのは助かることです。「担当者の社内説明を支援する」という姿勢で提案すると、担当者から紹介してもらいやすくなります。
担当者が紹介をためらう場合は、その理由を聞きます。社内の力関係や、まだ上司に話していない事情があるかもしれません。その場合は無理に進めず、担当者が説明しやすい材料を先に用意します。
会議・提案書・検証計画を複数の部門へ広げる
接点を広げる具体的な場面は、主に次の3つです。
会議に関係者を招く
定例の打ち合わせに、テーマに応じて関係者を招きます。例えば、技術的な確認の回には情報システム部門の担当者を、効果の説明の回には推進者の上司を招きます。担当者に「次回はこの内容を話すので、この方にも参加いただけると話が早いです」と提案します。
提案書を関係者ごとに分ける
1つの提案書ですべての関係者に対応しようとすると、誰にとっても読みにくい資料になります。全体の提案書とは別に、決裁者向けの要約、技術評価者向けの構成資料など、役割ごとの資料を用意します。
検証計画に複数の部門を入れる
試験導入(PoC)を行う場合は、評価する人と評価の基準に、利用部門だけでなく情報システム部門や決裁者の観点も入れておきます。利用部門だけで評価すると、後から技術面や費用面で別の判断が入り、結論がひっくり返ることがあります。
属人化しない、組織で再現できる営業の仕組みをつくります。
営業組織構築・GTM支援を見る商談が止まりかけているサイン
次のようなサインが見えたら、関係者とのつながりが細くなっている可能性があります。
- ▸担当者以外の関係者と、1か月以上やり取りがない
- ▸決裁者が誰か、決裁の時期がいつかを、担当者に聞いても答えが曖昧
- ▸打ち合わせの参加者が回を追うごとに減っている
- ▸「社内で検討します」の後、次の予定が決まらない
- ▸情報システム部門や購買部門の確認がいつ始まるか分からない
- ▸担当者からの返信が遅くなり、内容が短くなっている
これらのサインが出たら、関係者マップを見直し、接点が切れている相手や立場が不明な相手を洗い出します。そのうえで、担当者に「次に進めるために、どなたにどんな情報があれば判断しやすいでしょうか」と相談します。
アカウントプランへの反映
マルチスレッディングの状況は、アカウントプランに反映して営業チームで共有します。担当営業の頭の中だけにあると、担当者が休んだり異動したりしたときに引き継げません。
アカウントプランには、少なくとも次の内容を記録します。
- ▸関係者マップ(役割、立場、接点の有無)
- ▸関係者ごとに確認できた関心事と、まだ確認できていないこと
- ▸接点が足りない相手と、接点を作るための次の行動
月に1回ほど、営業チームで関係者マップを見直します。「この1か月で接点が増えた相手は誰か」「まだ接点がない決裁に関わる人は誰か」を確認するだけでも、商談の状態がよく分かります。
次の行動を顧客と一緒に管理する
マルチスレッディングを進めるうえで、もう一つ有効なのが、次の行動を顧客と共有することです。商談の各段階で、誰が、いつまでに、何をするかを一覧にして、担当者と共有します。
今月中
行動:現場の利用者2名への操作説明 / 担当:営業・顧客の担当者
来月初め
行動:情報システム部門とのセキュリティ確認 / 担当:営業の技術担当・顧客の情報システム部門
来月中
行動:部長向けの効果説明 / 担当:営業責任者・顧客の担当者
再来月
行動:稟議の提出 / 担当:顧客の担当者
一覧を共有すると、担当者も社内の調整を進めやすくなります。また、どこで止まっているかが双方に見えるため、停滞に早く気づけます。
営業チームで進める体制
マルチスレッディングは、営業担当者1人の努力だけでは限界があります。顧客側の関係者が多いほど、自社側も複数の人で対応する方が自然です。
担当営業
窓口の担当者、推進者
営業責任者・役員
決裁者、部門長
技術担当(セールスエンジニアなど)
情報システム部門、技術評価者
導入支援・カスタマーサクセス
利用者、現場の責任者
役職が近い人同士で話すと、関心事がかみ合いやすくなります。例えば決裁者には、担当営業だけでなく営業責任者が会うことで、事業上の話がしやすくなります。技術面の役割分担については「FDE・セールスエンジニア・SAの違い」も参考になります。
マルチスレッディングについてよくある質問
何人とつながれば十分ですか
決まった人数はありません。目安は、関係者マップで「影響力が大きい人」すべてに、直接か担当者経由で接点がある状態です。特に決裁者と技術評価者に接点がない状態は避けます。
担当者が紹介してくれない場合はどうすればよいですか
まず理由を聞きます。社内の事情でまだ上司に話せない場合は、担当者が説明しやすい資料を先に用意し、担当者自身が社内で話を進められるよう支援します。担当者を通さずに他の人へ連絡するのは、信頼を損なうため避けます。
まとめ
- ▸マルチスレッディングとは、大企業との商談で複数の関係者と並行して関係を築く営業の進め方
- ▸担当者1人に頼ると、異動・説明不足・見えない反対・不明な決裁条件で商談が止まりやすい
- ▸関係者を役職ではなく役割(利用者、推進者、決裁者、技術評価者、法務・購買、慎重派)で整理する
- ▸関係者マップで、影響力が大きいのに接点がない人や、立場が不明な人を見つける
- ▸役割ごとに伝える情報と資料を変える
- ▸担当者を飛び越えず、担当者の社内説明を支援する形で接点を広げる
- ▸状況はアカウントプランに記録し、次の行動を顧客と共有する
複数の部門が関わる商談の進め方は、重点企業の選定とあわせて考えると効果が高まります。重点企業の選び方は「ABM入門」も参考にしてください。
YME Technologyでは、エンタープライズ営業の立ち上げから、重点顧客ごとの関係者整理、提案・稟議資料の設計まで、営業チームと一緒に進めています。大企業向けの営業を組織的に進めたい場合は、エンタープライズセールス支援をご覧ください。
蛭田 佳人(Yoshito Hiruta)
代表 / YME Technology
新卒からIT業界でエンタープライズセールスに従事し、大手企業向けの営業支援・DX推進を経験。現在は独立し、AI活用・営業プロセス改善・集客の仕組みづくりを一貫して支援。
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